今回は、浜松より西側ルートを攻めた。
東海道五十三次ハンドブック 改訂版(三省堂)HPより引用
(クリックすると大きくなり、+虫眼鏡アイコンクリックで更に拡大できます。)
赤実線が攻略済ルート。 点線が今回攻略ルート。
1月7日 1日目
愛知県知立市 来迎寺一里塚近辺の名電牛田駅を出発。
一ノ木、刈谷一里山一里塚、阿野一里塚、有松、鎌研橋一里塚、笠寺一里塚、伝馬町一里塚、七里の渡し発着場を攻略した。
牛田駅を降りてから、東海道を見つける。
電柱に表示がある。間違いない。
見るからに東海道的で立派な、松並木が出迎えてくれていた。
※※※※※東海道53次 池鯉鮒宿 江戸側から39番目の宿場町※※※※※
池鯉鮒宿本陣跡
池鯉鮒と書いて「ちりゅう」と読む。
愛知県人に言わせると、「りゅう」にアクセントが正しい読み方の様だ。
知立古城址(これも、ちりゅう)
桶狭間の戦いで落城したとの事。
明治天皇御小休所
知立神社に寄る。 西暦112年創建
多宝塔(国指定重要文化財)西暦850年創建
◆◆◆◆◆一ノ木、刈谷一里山一里塚 ゲット◆◆◆◆◆
大きな表記があり、期待が高まる。
◆◆◆◆◆阿野一里塚(国の史跡) ゲット◆◆◆◆◆
左右共、現存している数少ない一里塚。
西に向かって右側
西に向かって左側
桶狭間古戦場が100m外れたところにあった。
1560年(永禄3年)、約2万5千人と圧倒的な大軍を引き連れた駿河・遠江(静岡)を中心として巨大な勢力を誇っていた今川義元に対し、その約10分の1程ともいわれる寡兵(かへい)で立ち向かった尾張を統一したばかりの小大名織田信長が、今川義元を討ち取り見ごと勝利したという日本の歴史上最も有名な戦いそれが「桶狭間の戦い」(桶狭間古戦場保存会HPより)
有松地区に入る。
ここの街並みは素晴らしい。(今まででナンバー1か?)
◆◆◆◆◆有松、鎌研橋一里塚 ゲット◆◆◆◆◆
現代風に復旧されていた。
立派な常夜灯がある。 ここにも秋葉神社の表示
◆◆◆◆◆笠寺一里塚 ゲット◆◆◆◆◆
とても趣きのある巨大一里塚。
素晴らしい。
笠寺に寄った。
ここも歴史がある。西暦736年創建
六地蔵(縁結び)
途中あちこちに東海道の表示
◆◆◆◆◆伝馬町一里塚 ゲットならず⤵◆◆◆◆◆
地図に表記はあるが、碑は再現されていなかった。
◆◆◆◆◆七里の渡し発着場 ゲット◆◆◆◆◆
※※※※※東海道53次 宮宿 江戸側から41番目の宿場町※※※※※
ここは、人や物資のの輸送面で重要な役割を果たし、賑わったとされる。
ここから桑名までの七里は海上の航路となる。
・・・・今日はここまで・・・・・ 走行距離27km。
熱田神宮に寄った。
東海地方有数の大きな神社。
1月9日 2日目
愛知県名古屋市 神宮前駅を出発。
七里の渡し発着場、 縄生一里塚、富田一里塚、海蔵橋、三ツ谷一里塚、を攻略した。
神宮駅からスタート
ここから桑名の七里の渡しまでは海上航路の為、道路には一里塚もなく、国道1号を淡々と進む。
木曽川に架かっている、尾張大橋に着く。片側の歩道は工事中だ。
橋の途中で三重県に突入。
景色は良いが、とても長い橋。
木曽川でかい。
橋を渡ると、三重県桑名市
暫く行くと、次は揖斐川を渡る。
ここも長い。
埼玉県でいうところの、利根大堰みたいになっている。(比較対象がおかしい?)
川を渡ったら、川沿いに進む。
やっと七里の渡しに到着。
◆◆◆◆◆七里の渡し発着場 ゲット◆◆◆◆◆
こんな管理所があった。
ここは、伊勢国の東の入口にあたるため、伊勢神宮の「一の鳥居」が建てられている。
※※※※※東海道53次 桑名宿 江戸側から42番目の宿場町※※※※※
桑名と言えば、蛤が名物だ。外のメニューを見ると蛤づくし。
今度ゆっくり来ようと思う。
桑名城城壁跡が見える公園
そこに不自然な江戸日本橋の石柱。
なんと日本橋もある。
しばらく進むと富士山らしきモニュメント。沼津・原・裏側は吉原(この間行ったばかり(^^;)。)
歴史を語る公園との事。 東海道五十三次が表現されている。
最後は京三条大橋
箱根の山は再現されていなかった?
しばらく進んだ資料館前に、復元された東海道にあったとされる石柱
マンホールも七里の渡し
途中にあった矢田立場。旅人の休憩所。火の見櫓も再建。
町屋橋跡。当時はこの先に橋が架かっていた。
立派な常夜灯もある。
◆◆◆◆◆縄生一里塚 ゲット◆◆◆◆◆
途中、東海道の幟が応援してくれた。
◆◆◆◆◆富田一里塚 ゲット◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆海蔵橋、三ツ谷一里塚 ゲット◆◆◆◆◆
JR四日市駅で今日は終了。
前半一里塚を気にすることなく走れたので、44kmも走れてしまった。
おそらく、自己最長距離を踏んだ事になった。
次は、亀山を果敢に攻めてみたい。
心地よい風と空気を求めていきます。
e